長女出産後、2週間~3週間🍼
長女出産後、2週間~3週間🍼
長女を出産して慣れない子育てをしながら、2週間が経ち昼間は家事と子育てして
相変わらずの寝不足の日を過ごしていました。
長女も特に変わったこともなく元気に過ごし、夕方を過ぎたあたりには
主人が仕事から帰宅するので、
夕飯の支度をしながら待っていていつも通りに一緒に夕飯を食べていたら、
主人の携帯に電話があり内容は私はまだ知りませんでした。
夕飯を食べ終わってから、主人からさっきの電話の相手は
私の母からだということを聞きその内容を話してくれました。
その内容はというと
『お父さんが頭を怪我して今、○○病院に救急車で来て診察をしてもらっている。』
と・・・・・・・。
なぜ私に母は田はしなかったのかというとまだ産後まもなく私に心配かけたり、
パニックにならないようにと主人に連絡したと聞きました。
さすがに話を聞いた瞬間は血の気が引くくらい不安にもなりどうしたらよいのかわからない私を主人は落ち着いて、
『○○病院にこれから一緒に行くから長女も連れていけるように今すぐ準備して‼』
と言ってくれて一緒にタクシーで病院へ向かいました。
私たちが着いたころに私の叔母さんでもある父親の妹夫婦も駆けつけてくれました。
兄にも母が連絡していて当時はまだ県外に住んでいたため翌日には病院に着くとのことでした。
病院に着いた時には頭の検査中で終わり次第、先生からの説明があるとのことで
病院のロビーでみんな待っていました。
怪我の原因は、その日はデイサービスに行き車で送ってもらった際に父親の降りた場所も悪く(父親も介護士さんが安全確認をする前に自分でドアを開けておりたそうです💦)足を踏み外して1.5メートルくらいの石垣の下に落ちて頭を打ち、若い介護士さんも慌ててたかもしれませんがすぐに上司に電話で連絡し、状況と父親の状態を説明して指示を仰ぎ対応してくださったと後で詳しく聞きました。
落ちた後1度家に帰り様子を見ていたところ父親の様子がおかしいなということで
母親がすぐに救急車を呼んだそうです。
検査が終わり先生からの説明を聞くと呼吸の状態もまだ安定はしておらず
機械をつけて状態を経過観察するにあたり、頭の打った場所が
嚥下機能や記憶脳にもなど影響が出るであることそれから水頭症になると
手術をしないといけないことなど色々と説明がありそのまま入院することに。
すでに気が付けば時間も夜中になっていました(^_^;)
ひとまず母親は駆けつけてくれた叔母さん夫婦が家が近かったので、
いったん送ってもらい、着替えとか持ってきてもらって
かさばるものは私が近くで買ってくるということにしました。
次の日からは、家事、育児だけではなく介護、日中の付き添い、
母親の精神面のサポートをする日々が始まりました。
通常なら産後はせめて1ヶ月は赤ちゃんのお世話を基本的にして自分の体調も戻していくのですが、私の場合はその選択肢は与えられることはありませんでした。
産後すぐに無理をしていると年を取ってから身体に影響が出てくるそうなので、
皆さんはマネをしないでくださいね(笑)
そして長女を妊娠中は7~8㎏増えてたのですが、
ダイエットも産後1ヶ月を過ぎてからと考えていて、
まだ長女も産まれてから2週間経ったばかりなので正直何にも考えてはいませんでした(^_^;)
そのあたりのお話はまた別でお伝えしていきますね(^_-)-☆
そして翌日、お店が開いて必要なものを買ってまた病院へ行くと
母親は先に着いていました。
母親はその時はほぼ寝ていなかったと思います。
なので高齢の母親に無理をさせないようにと
主人と話して、できる限り私たちが動くようにしようと決めて
毎日、父親の入院先の病院へ通う毎日が始まったのです。
家事も最低限出来ることを済ませ、乳児の長女をベビーカーに乗せて
必要なものを持って途中のコンビニでお昼ごはん
(ほとんどサンドイッチや菓子パンと牛乳)
と飲み物を買って歩いて病院に向かう毎日。
この頃の長女はベビーカーに乗せても喜び、
ただし信号などで止まると【止まらないで動かして】と言わんばかりに
文句の抗議の訴えとして泣いてしまうので、
信号待ちであってもベビーカーを止めることなく、
ゆらゆらと動かし続けて、病院まで休む時間もなく
ひたすら歩いて毎日、自宅から徒歩40分くらいの距離を早歩きで行ってました。
産まれて3週間までの間は、家と病院🏥の往復で時間が過ぎていき
先生が話があるというときには途中で長女が泣いてしまうので
主人に抱っこしてもらってあやしてもらっていました。
長女を一緒に連れての病院は悩みましたが、
預け先もなく私の大好きな父親の入院で母親だけに任せるのも
年齢的に心配だったのもありまだ仕事をしていないのもあったので
今、私に出来ることをしようと決めて付き添いなどしてました。
父親には早く元気になって初孫の姿を見てもらいたいのと
できれば抱っこもしてもらいたいなと思ってました😊
なので必ず病院に着いたら父親に寝ていても声をかけて
早く機会が外れるように願いながら夕方まで父親のそばにいて
母親が来た時も先に見送ってから帰るようにしていました(o^―^o)ニコ
そうやって毎日、外に出るようになり活躍していたのが、ベビーカーと抱っこ紐と授乳ケープでした(^^♪
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長女出産後の1週間~2週間🍼
長女出産後の1週間~2週間🍼
退院してから、1週間が過ぎ家事も少しずつ再開して
(実家に帰省して産後ゆっくり過ごせないけれど)
長女の授乳タイムが3時間おきで、ほぼ睡眠不足続きで
夜中も授乳しながらうとうとしたりしてました(^_^;)
長女を抱っこしたまま、ソファーの上で睡魔との戦いの毎日でしたね。
ミルクとの混合でよく飲む子だったので授乳時間に結構時間がかかってました💦
それから長女に関してはオムツがどれだけ汚れていても、
泣かない子だったので親のほうがしびれを切らしてオムツを替えてました(笑)
また、しばらく外に出れない私の代わりに主人が必要なものを買ってきてくれたり、
夕飯も作らなくても大丈夫なようにお弁当を買ってきてくれたりしてました。
長女の沐浴も仕事から帰ってきて必ず入れてくれたり、
ゴミ出しとか食器などの洗い物もできる時はしてくれてました。
両親や親族に頼れずに子育てされている方もいらっしゃるかと思いますが、
お互いにパートナーと協力しながら子育てをされた方がいいなと思います。
またシングルで子育てをされている方は本当に頼れるパートナーがいない分、
全て1人でされているので尊敬します。
でも、決して1人で何もかもしなければいけないことはなく、
市役所など相談して頼れる機関は活用されて1人で何でも抱え込まないことです。
友達やご近所さんでも頼れる方が居たら少しくらいは甘えてストレスを抱えないように過ごしていけるようにしていくと良いと思います(私、個人的な考えですが)
そこで必ず忘れてはいけないのが、感謝することです。
何かしてもらったままお礼も言わないとかだといくら感謝していると思っていても
伝わらないので、そんな時には1番簡単な言葉があります。
それが
『ありがとう』
です。
少し照れ臭いかもしれませんが、必ずすぐに言葉で伝えることです。そのくらい言わなくてもわかるでしょ?と思うかもしれませんが、言わないと思いは伝わりません!そこで、何かしてほしい時には自分から『○○してほしいな。お願い(⋈◍>◡<◍)。✧♡』とお願いして、それに対してしてくれたらすぐに『ありがとう』と伝えることです。私もまだまだ子育て奮闘中ですが、子供たちがこれからも笑顔で過ごせるようにしていこうと思います。ブログにも子供たちとお料理したり体験したことも載せていこうと思っているので是非よろしくお願いします😊🎶
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長女が産まれてから1週間
2011年1月我が家に待望の長女が誕生しました(^^♪
妊娠中は、帯状疱疹になったり、後期には寝る時になりお腹にいた長女がみぞおちのあたりを思いっ切り蹴ってくれて寝れないという悩みがありました(^_^;)
ホントにめっちゃ痛かったんですょ~😢
寝る時くらい、普通に寝かせてほしいなぁ~って感じでした
そしていよいよ出産を迎えて私の場合は以前、卵巣嚢腫という病気をしていたので
安全のために帝王切開での出産となりました。
手術の日は事前に決めれますが、私が出産をした病院は、
月・水・金(ただし、祝日が重なるときは手術はなし)
という病院だったので妊娠38週の頃に日程を決めました。
事前に分かっているので、同じ市内に住んでいた母親もそして主人も休みを取ってくれて手術の時間に間に合うように来たくれました😊
前日に入院をして当日を迎えて色んな不安はある中、出産当日を迎えました。同日に帝王切開での出産の方がいて私は2番目の手術となりました。
手術中は下半身麻酔で胸から下が麻酔が効いている感じで、無事3200gある元気な女の子が産まれて、姿を見たら少し涙が出ました。
病気もしたりしながらだったので、妊娠もしにくくなるかもと以前言われていたのもあり、そんな中でも元気な子が産まれてきてくれたこと 、親に孫を見せてあげれることとかいろんなことが頭をよぎりホットもして涙が出ました。
その後残りの麻酔をし部屋に戻り、目が覚めたら主人と母親が居てくれました(o^―^o)
そして『おつかれさま』と声をかけてくれてそのあとは麻酔が切れていき、痛みとの闘いが始まりましたΩ\ζ°)チーン
痛いのなんのって(^_^;)
ボタンを押すと痛み止めが適量点滴に入るのですが、あまりの痛さに、何度もをしすぎてすぐ無くなり、錠剤に切り替わったのですが、時間を空けないと飲めないのでしばらくはその痛みとの戦いが続きました(^_^;)
そして次の日には赤ちゃんに授乳しないとなので3時間おきの授乳のスケジュールでスタート✨✨
退院するまでは基本は母子別室ですが、3日目あたりからお部屋に連れてきて泣いたら授乳とオムツ替えたりしてどうしてもしんどい時は看護師さんに言って新生児室で預かってもらえてました(^^♪
産後のママは超忙しくて、1週間の間に、授乳やオムツ替えたりはもちろんのこと、沐浴のやり方、診察、退院後のことを別室で学んだりしました。沐浴の時はなんとビックリしたのが、そのモデルベビーは、な・ん・と、うちの長女が出てきてホントにビックリしました
(先に教えててくれたらいいのにぃ~)
って正直思いましたが、長女を出産したときは双子ちゃんが2組いたりしたので、一番元気だったのがうちの子だったみたいです。
とてもいい経験させてもらいました!
退院の前日には、超豪華な御膳が出てきて、2人分くらいあるんじゃないの?って思うくらいの量でしたね😊
産後は特に授乳もあるので、めっちゃお腹すいちゃうんですけど、それでも多いなと思うくらいでした。
長女は元気は元気ですが、少し呼吸量には心配があったものの無事に1週間経ち退院。主人が迎えに来てくれて我が家へ帰宅。主人の両親も私の両親も高齢でとても産後の私と孫の世話を頼める状態ではなく、我が家で過ごすのが私も気持ち的に楽だったので、主人と2人で子育てをしていくことにしました。
退院して1週間振りの我が家に到着
母親も孫を見に来てくれてそこで初めて抱っこさせてあげれました。
当時でいうと母親が赤ちゃんを抱っこするのは私が産まれて以来なので30数年振り❓ということもあり、抱っこするのはうれしい反面、落としちゃいそうでこわいとのことでした。
ちょうどお昼時だったので主人がお弁当を買ってきてくれて母親も一緒に
3人でゆっくり食べていろんな話をしました。
長女が退院するときに着る服は母親におねだりして買ってもらっていて
それを着せての退院でとっても可愛かったのを覚えています。
普段は無理は言えないけどそれだけはお願いしました。
そして、入院中にとても役に立ったのが授乳クッションです。
最初は病院にあるのを見て、これなんだろう?これどうやって使うんだろう?って感じでしたが使ってみると授乳がとっても楽で、主人に途中で買ってきてもらったくらいです。
アルファベットCの形になっていて自分のお腹周りにおいて赤ちゃんを抱っこして授乳クッションに乗せながらできるのでとっても重宝しました(^^♪
⇑こんな感じです(写真はイメージです)⇑
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最後まで読んでくれてありがとうございます😊 pinkkitty
初めましてpinkkittyです!子育てブログ始めました(^^♪
子育てブログ始めました
初めましてpinkkittyです😊
現在小学1年生と小学4年生の2児のママをしています。
出身は山口県の自然豊かな田舎町で、山や川などあり3人兄妹の末っ子として育ちました。
年の離れた兄2人と元気いっぱいのおてんば娘で小さい頃からよくケガをしていたのを今でも覚えています(笑)
両親共に今でいう高齢出産の年齢で私を産んでくれました。
父親は当時、土建業をしていたので朝早く4時頃に家を出て帰ってくるの夜中でした。
幼稚園の頃は、父親に『いってらっしゃい!』と言いたくて頑張って起きていました!
幼稚園年中の頃から母親が入院したり、父親が入院したり、一番上の兄も通院したりなど色々あり、小学校の入学式には母親は入院中で来れず、父親が来てくれて嬉しかったのを覚えています。
田舎の小学校は人数も少なく全校児童は60名ほどで1学年1クラスのみでしたがみんな仲良く過ごしていました。
小学5年生で広島市内の小学校へ転校し、人数に圧倒されたのと担任の先が怖くとある言葉にショックを受けて不登校になり病気になり入院したこともありました。
そのまま中学校へ進み、不登校も続きましたが何とか卒業し、親元を離岡山県倉敷市の紡績工場へ就職し高校へも勤労学生として3年間を過ごし、小学校低学年に母方の父(おじぃちゃん)が他界し、当時の看護師さんを見て憧れもあり病院へ就職、看護学生の道へ進むもかなりのハードさに体力も付いていけず途中で断念しました。
その後はバイトをしながらの生活を送り、22歳の頃に1度目の結婚、相手の家族も含めて7人の同居生活、妊娠5か月の頃に卵巣嚢腫の手術を受け、出産し、ストレスも重なり、子供が9か月の頃に離婚、実家へ。
再びバイト生活を送って数年経ったころ、とあるバイト先で今の主人と出会いました。
当時は17年生きた愛猫が亡くなり、ショックを受けていました。
それからしばらくして、付き合うことになってから入籍するまでは、1か月も経ってはなかったのですが、ある方の『相手から好かれるほうが幸せになれるよ』との言葉を聞き、再婚はしばらく考えてなかったのですがそういう幸せの形もあるのかなと思い再婚を決意しました。
結婚当初は夜もバイトで不規則な生活していて子供もなかなか出来なかったのですが、ストレスも度重なり帯状疱疹も患いつらい時期もあった中、子供を授かることができました。
ちなみに出産当時は主人の両親も私の両親も高齢のため、孫を見てもらったり出来ないので普通に自宅へ帰宅し、子育てのスタート。
慣れない育児で寝れる時間はごくわずかで毎日フラフラな状態でしたが、しばらくは主人がお弁当を買ってきてくれたりと家事の負担を軽減できるようにとしてくれてとても助かりました。
それから長女が産まれてちょうど2週間目の夕飯時に、父親が頭をけが病院にいると聞き、乳児の我が子を抱きかかえて病院に駆けつけました💦💦💦
しばらくは危険な状態が続き、何度も山場を乗り越え1度は回復し、初孫を病院のベッド上ですが、看護師さんが見守る中抱っこすることができました(^^♪
少し経ち、東北の大震災が起こり、日本が大変な中、長女が4ヶ月になる月に保育園に入園📛・・・私はパートを始め、仕事と家事や育児に介護(母親も認知症のため)という、バタバタの生活がスタートしました。
当時はホントに目まぐるしく時間が過ぎていき、長女が1歳3ヵ月を迎える直前に父親は永眠しました。
最後は苦しむことなく眠るように天国へと旅立ちました。
悲しみも冷めないまま、手続きも母親の代わりに済ませ、職場に復帰。
じっとしていたら涙が止まらなくなるので、幸いにもパート先はとてつもなく忙しかったのでそれが救いでした。
親戚や兄や主人の協力もあり法事も無事に済み、また日常の生活へと戻っていきました。
それから翌年には次女を出産し、母親とも同居する生活をスタートさせました。
小さな子供たちを2人抱えて、母親の介護と仕事に家事もするという生活が続く中で私はノイローゼになりかけてました。
ケアマネジャーさんにお願いして訪問看護に来てもらったり、ショートステイを利用して介護の負担を少し減らしたりして日々を過ごしていて、ある日の朝、下の子がお熱が出て病院に連れて行かないといけなくなり、同じ日に母親を病院に連れていく日と重なってしまい、(お恥ずかしい話)兄に母親の病院に付き添いを頼んだら断られ、どうしようと悩んだのですが、病院と調剤薬局の方に事情を説明して母親の診察だけお願いをして、お薬は私が後で取りに行くようにしました。
1人で色々とするのはホントに限界があると感じました。
それから次女が1歳8ヶ月の頃に大阪へ引っ越すことに( ゚Д゚)
まず思ったのが、母親のことでした。
高齢で慣れない土地に行くのは厳しいと判断して、またケアマネジャーさんにお願いしてショートステイでの利用先にそのまま滞在できるようにしてもらいました。
そして初めての関西(大阪)に住むため、引っ越し当日まで子供たちを保育園に預けて夕方にお迎えに行き新幹線で移動🚄
1泊ホテルにして翌日荷物の搬入。次の日には主人は九州へ出張Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
で、私は子供たちを連れて市役所へ行き手続きして帰宅🏠
長女はすぐに幼稚園(認定こども園)に入園が決まるも次女は待機児童となりしばらくは入園できず💦
夏ころに仕事が決まり正社員で働くもまだ入園できずに、認可外保育施設に預けての仕事は家計を圧迫し赤字続きに💦💦💦
翌年の4月からようやく長女と同じ保育園(認定こども園)に入園できました😊
(この時が2歳児クラスに入園、長女は年長さん)
それから次女が年長さんになるまで通い、その年の5月末に九州へ引っ越し🏠
(また当日には仕事、出張で主人はいない😢)
引っ越した先では保育園も待機児童が多すぎては入れる見込みはなく、幼稚園は市でやっているところもなく、認定こども園もないので、私立に入園させれる余裕もなかったので、小学校に上がるまではもう一緒にいよう!小さい時から保育園に預けていたから今の時間を出来ることをして楽しもう!と決めて過ごすことにしました。
また、主人も出張も度々あり居ない時も多いので、lineや電話で連絡取り合って、子供たちの様子とか困ったときのことだったり聞いて日々を過ごしています🎶
そして新型コロナの影響で2020年3月から5月末までの学校の臨時休校・・・・・2020年4月楽しみにしていた次女の小学校の入学式の中止😢
休校中は公園にも行けず、自粛で学校からの課題をやる毎日。
いよいよ6月からは学校の再開・・・子供たちの授業の遅れを取り戻すべく時間割もみっちりとあります。
大人も大変ですが、子供たちもストレスを抱えていたりするので長くなりましたが、
そんな子供たちが毎日を笑顔で過ごせるように取り組んでいることなどをこれからお伝えしていこうと思います✨
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